今日という日は当たり前にこない

今日という日は当たり前にこない

人の時間に平等はない

人それぞれに与えられている時間は有限です。そして一人づつ与えられている時間も異なります。自分が愛しく思う時間に戻ることもできないし、嫌な思い出となっている時間に戻ることもない。ただ、完全に忘れるということではなくて「記憶」という部分で生き続ける。

私がこんなことを考えるのは昨年素晴らしい本の言葉に出会ったからです。

「君が何となく生きた今日は、昨日死んでいった人たちがどうしても行きたかった大切な明日だ」という言葉。当時の私に心から響いた言葉だった。今のままの自分ではいけないと思った。

後悔しないようにすること

明日あなたは死ぬと宣告されたら大抵の人はパニックになる。もちろん私もそうです。まだやり残したことはいっぱいあるし、会いたい人もいる。もっと親交を深めたかった人だっている。

そんな後悔と出来なかったことばかりが脳裏を過ぎると思う。自分がやってきたことより後悔ばかりが過ぎるというのはやりきっていないから。本当はもっとできるのに、今日はココまで。とか自分に勝手な線引きをしてやり残していることがいっぱいだからです。

明日死んでも後悔しないためには、自分がやりたかったこと、成し遂げたかったことを1日も早く実現させるために毎日自分が納得できるだけの努力をすること。これしかないと思います。後悔を減らし達成できたことを想うために。

人の時間を借りる感謝を忘れてはいけない

はじめに言った通り、人それぞれに与えられている時間は有限で自分と平等ではない。待ち合わせ、打合せ、旅行、仕事など私たちは多くの時間を他者と同じ空間で過ごしています。今日は会えた人が明日には会えなくなる可能性だって十分にあります。

昨日、もっと話しておけばよかった、などと後悔しないようにその時間を有効活用して有益に使わなくていけません。待ち合わせや約束の時間を守らないなんて論外です。

自分の時間軸を中心に考えていては相手の貴重な時間を奪うことになってしまうことの重さを認識しましょう。自分に与えられた時間、誰かと関われる時間、それは有限であって感謝することを忘れないでいましょう。

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