失敗から得る教訓。僕のしくじり人生。

失敗から得る教訓。僕のしくじり人生。

その昔、2004年の春、私は前職の会社で、東京の地において、新しい雑誌を立ち上げるプロジェクトのメンバーでした。メンバーというより、その雑誌の事業のために東京支社長として赴任し、広告営業のデスク兼営業の実質的な責任者でもあったわけです。

 

当時私は39歳。金沢での営業の実績も積んでいましたし、人口40万そこそこの金沢で出版事業を成立させ、東京で一流のカメラマン、一流のアートディレクターと組んで、金沢で培ったノウハウを駆使すれば、人口の多い東京なら情報誌1冊ぐらい事業として成り立つと高をくくっていました。

赤字、赤字で、休刊寸前に。

赤字、赤字で、休刊寸前に。関東圏だけで約3000万人の人口。金沢の地方出版社が東京で発行する東京のタウン誌は、金沢の人口の約100倍近くある東京であれば、広告獲得目標の3000万円は余裕で達成できると思っていました。

 

ところが、ふたを空けると、創刊号の広告獲得金額が300万円、5万部刷った雑誌は結局5000部も売れず、一部の雑誌好きや一部の代理店の営業マンには響きましたが、クライアント層にはまったく響かず、2号目が680万円。印刷経費、出版の制作費、社員の人件費などを計算すれば最低、1号あたり2000万円が必要でしたが、それには到底及ばず、出版すればするほど赤字が増え、当初用意していた資金の1億円は半年ほどであっという間に消えてなくなってしまいました。

 

創刊して2年目の10号でようやく1600万円まで広告収入が増えましたが、その数字がピークで次号はまた800万円まで下がってしまいました。プレッシャーに押しつぶされそうになり、東京での仕事は胃がシクシクいうどころか、当時、マンションの14階に住んでいましたが、寝ている間にベランダから飛び降りるんじゃないかという恐怖心すら覚えたほどです。(それ以来、高所恐怖症になってしまいました。その恐怖で、マンションの2階に引越をしました。)

事業譲渡で決着。

事業譲渡で決着。結論から申せば、その雑誌は、2年ほどでIT企業に5000万円で事業譲渡をする形で手を離れることになり、さらにそのIT企業はリーマンショックとともにその事業を廃止せざるを得なくなり、休刊することになるのですが、当時勤めていた会社のオーナーであり、その雑誌の編集長であった方の全社員に送ったメールが手元に残っていたので披露させていただきたいと思います。

2004年1月19日

2004年1月19日

TOKIOSTYLEの営業、とりわけ東京支社の営業スタイルは、大きく間違っています。その方法は、営業本来のあるべき姿から逸脱し、営業常識を度外視しすぎています。彼らは、現在、広告代理店に対する働きかけを主たる営業目的としていますが、それは、TOKIOSTYLEの置かれている<立場>というものをまったく理解していない、とんでもない方向違いです。

 

地域マガジンとして相当な実績を積み上げてきた「月刊CLUB」にしても「金澤」にしても、広告代理店からの広告出稿は、いまなおほんの僅かにすぎません。その傾向は今後も変わらないことでしょう。当社の強味は、広告代理店頼みではなく、あくまでも直営業に力点を置いているゆえであるということができるでしょう。

 

営業とはきわめて泥臭いものです。それは、金沢であっても東京であっても同じことです。明けても暮れても足を棒のようにして、1軒1軒、飽きずに飛び込み訪問をする。これしかないのです。東京だから、電通・博報堂に営業する、というのは、とんでもない勘違いです。東京のあまたある物販・飲食店などのクライアントで、電通や博報堂経由でしか広告出稿をしないようなところは、ほんのひと握りあるかないかです。

 

たとえば、支社のある青山1丁目から国道246沿い(いわゆる青山通り)に表参道まで、そういった営業対象はそれこそ無限にあるといってもいいほどですが、実際には、東京支社は、それら営業から見て宝の山にほかならない見込みクライアントを無視し続けています。営業マンで、しかも新規開拓という使命を担っていて、100枚の名刺が1ヶ月以上も無くならないのは、まったくもって怠慢以外のなにものでもありません。

 

新規開拓を担わされた営業マンなら、1日10軒~20軒(骨董通りを1日歩くだけでも20や30は訪問出来るのではありませんか)訪問するのはあたりまえだし、そこで、けんもほろろに断られ続けることで、営業マンとしての体力が着実に備わっていくものなのです。

 

いったいなにを血迷って、あんなに行儀のいい、格好のいい営業をしているのか、その意図が私にはまったく理解出来ません。支社長を先頭に、営業部3名は、本日たった今から認識を改め(少なくとも直営業と広告代理店営業の比率を8対2にする必要があるでしょう)、もっともっと本気の汗をかくようにして下さい。TOKIOSTYLEを成功させるも否も、すべてあなたたちの気構えひとつにかかっているのですから。

そして2020年9月1日

16年前送られたメールの文章を読み返しました。あの時、もっとこうしておけばよかった、もう少し頑張ればよかった、あの時はあの時なりにやっていたつもりでしたが、思い返せば何の努力もしなかった。何かを残そうと思えば、血のにじむ努力が必要なのは当たり前なわけで、その結果、物事をやり遂げたという達成感が得られる。

 

自分自身に問うても、一生涯にやった、やり遂げたと思える仕事があっただろうか。まだ越えたことのない峰を越えることで、見たことない景色を見ることができる。無から有を生む作業はしんどいですが、それが実現できた暁には何かご褒美がもらえるのかもしれない。

 

周りの同級生は、役職定年や出向で第2の人生を迎える、いわば仕事の上での人生の黄昏時、そんな中で、私には、チャレンジすべき仕事が目の前にある。それはそれでありがたいこと。一度でもいいから見たことのない景色を見てみたい。今、ハウスラボという新しいメディアを立ち上げるにあたって、あの時の反省と教訓が活きてくるのだと確信しています。

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